加藤紘一(かとう・こういち)元衆院議員が昨日、
9日午後0時45分、肺炎のため急逝。享年77歳。
議員時代は、自民党幹事長や官房長官を歴任、山形県鶴岡市出身。
経歴
1963年、東大法学部政治学科を卒業
1964年、東大法学部公法学科を卒業し外務省に入省
1971年12月、外務省を退官
1972年2月、外務事務次官・法眼晋作の仲介で大平正芳に会い、大平派に加わる
1972年12月、第33回衆議院議員総選挙、旧山形2区から自由民主党公認で出馬し、初当選
1978年、第1次大平内閣の内閣官房副長官に抜擢
1978年12月、衆議院議事進行係に就任
1979年、第2次大平内閣にて官房副長官に再任
1984年、第2次中曽根改造内閣で防衛庁長官に任命
1991年、内閣官房長官に就任
1994年7月、自民党政調会長に就任
1995年、自民党幹事長に起用
2001年12月、衆議院テロ対策特別委員長就任
2002年4月、衆議院議員を辞職
2003年、第43回衆議院議員総選挙で国政に復帰
2016年9月9日0時45分頃、肺炎のため死去
各界の著名人からのコメント
森元首相
「加藤氏は、自民党の苦しい時代をともにした政治家の1人であり、
非常に残念な思いだ。優秀な政治家で、外交が大変な局面にある今、
加藤氏がいてくれればと思うことは何度もある。
海外の首脳にも、加藤氏を念頭に、『私の後継は外交に精通した人だ』と
紹介したこともあり、本当に次を担う人だと思っていた。
それだけに、いわゆる『加藤の乱』の時に、なぜあそこまで急いだのかという思いはある」
古賀元幹事長
「加藤政権の実現を夢見た1人として非常に無念な思いだ。
平成11年の自民党総裁選挙に、
加藤氏が当時の小渕総理大臣の対立候補として立候補したが、
将来の加藤政権実現のために止めようとして止められなかったのが、
いちばん印象に残っている」
野中元幹事長
「大変、立派な人だった。惜しい人を亡くした。
政治家としての能力も非常にすぐれていて、指導者としても
立派な人だった。『加藤の乱』の時のことが最も思い出深く、
当時のことを静かに考えながら冥福を祈っている」
亀井静香衆議院議員
「大変、残念だ。すぐれた政治家だったが、
不運な政治家でもあった。総理大臣になる実力もあったが、
狙ってはいけない時に狙ってしまった。
非常に真面目で純粋な人だったと思う」
川崎元厚生労働大臣
「ウイングの広い政治家で、弱者に対しても、
やさしい視点を持った政治家だった。
自分が理想とする政治を追い求めた結果、無理をしてしまった。
黙っていても総理大臣になれる政治家だっただけに、とても残念だ」
加藤氏の三女の加藤鮎子衆議院議員
「亡くなる2日前に会い、日ごろの活動の報告や孫の話をしました。
政治家としてはしっかり根を張りながらまわりを見渡せる大木のような人でした。
父としてはまじめで頑張り屋の人でした」
ご冥福をお祈り申し上げます。
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