こにゃにゃちは
今回は、爆報フライデーで紹介された、
伝説の覆面レスラー
ザ・デストロイヤーの紹介をします!
プロフィール
リングネーム:
ザ・デストロイヤー
ドクターX
ディック・ベイヤー
本名:リチャード・ベイヤー(ディック・ベイヤー)
ニックネーム:白覆面の魔王
身長:178cm – 183cm
体重:110kg – 120kg
誕生日:1930年7月11日(86歳)
出身地:
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 バッファロー
スポーツ歴:
アメリカンフットボール
レスリング
トレーナー:ディック・ハットン
デビュー:1954年
引退:1993年
そして、なんと!
大学院を卒業していたらしい!!
しかも、教育学部wwww
教育学部卒業して、
ヒールを演じるというのも
因果なものであるw
シラキュース大学教育学部卒業、シラキュース大学大学院修士課程修了。在学時からアメリカンフットボールの選手として活躍し、卒業後も母校のコーチを務めていたが、レスリングでも実績を残していたため、1954年にアメリカのプロレス団体からのオファーを受けてプロレスラーとしての活動も並行して始める。
引用:wikipedia
ライバルは力道山
デストロイヤーが日本に来たきっかけは、
ジャイアント馬場と全日本プロレスが、
ポリスマンとして、起用していたのがきっかけ。
ポリスマンとは
初来日した外国人レスラーがどの程度の実力なのか確かめるために対戦するというポリスマン。その土地(団体)の秩序を守るために存在するレスラーを指す隠語。
引用:spotlight
当時のポリスマンだった、
安生洋二の引退を期に、
デストロイヤーと
パット・オコーナーを
ポリスマンとして起用した。
ヒールのレスラーとして
活躍したデストロイヤーは
テレビ出演をし、
徳光和夫に4の字固めを
決めたり、人気者であった。
セレブ生活
86歳になった現在
デストロイヤーは、
25年前に3000万円で建てた
リビングが36畳の
大豪邸に住んでいた。
和に親しんだ彼は、
もちろん、和室を作り、
掛け軸などもそろえていた。
奥様と二人で、楽しく暮らしているそうだ。
主な収入源は、
広さ、東京ドーム34個分の
ゴルフ場を経営しウハウハだそうだ!
力道山が・・・・
デストロイヤーは語る。
俺がいれば力道山は殺されなかった。
と語る。
力道山の最後の試合の相手は
デストロイヤーだったのは、
公然の事である。
最後の試合の後、
力道山とデストロイヤーは
酒を酌み交わす。
この時、初めて酒を呑んだそうだ。
そして、力道山はデストロイヤーを
キャバレーに誘ったそうだ。
だが、デストロイヤーは、
この後、試合が控えており、
すぐに飛行機に乗って
アメリカに帰らなければならなかった。
直後に力道山は暴漢に刺され、
その後、帰らぬ人となったそうだ。
デストロイヤーは語る。
「あの時、飛行機をキャンセルしていれば
力道山を守る事が出来た」と・・・
やはり、男と男の
絆というものは強固である。
現在デストロイヤーは
力道山を忍び、
桜の木を植え、
桜が咲くたびに力道山を
思い出し、感慨にふけるという。
まとめ
個人的な思いですが、
ヒールのプロレスラーは
みんな、情に深い人が
多いように思う。
表立った正義には、
必ず悪役が必要だ。
その悪役を引き受けるということには
並々ならぬ決意と慈愛が必要なのでは
ないかと、私は思います。
それでは、最後までお読みいただき
毎度、ありがとうございます!
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