「話すことが防災」“南海トラフ”へつなぐ被災体験(2021年3月13日)

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ANN
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※この後VTRには、津波の映像が含まれます。
PTSD「心的外傷ストレス症候群」を起こす可能性もありますので、ご注意ください。

海が目の前に広がる徳島市で開催された、東日本大震災を振り返る展示会。
3月11日午後2時46分。主催者の徳島大学4年生・宮本萌(めい)さんは黙とうをささげ、「自分が住んでいた町が、全部黒一色に染め上げられていく。僕は本当に言葉を失いましたね、あの時・・・」と、訪れた人々に自身の被災体験を語り始めました。
※この後、津波の映像が流れます

当時中学1年生だった宮本さんは、宮城県東松島市で被災。中学校にも津波が押し寄せ、4日間にわたり孤立しました。
震災から10年を前に、3月5日、宮本さんは久しぶりに母校の中学校を訪ねました。
宮本さん:「屋上から見ると、この辺(校庭)とか真っ黒ですよね。全部海だったので、もう津波にのまれて。車もバスとかも停まっていたが、そういうのも水の中」
家族は全員無事だった宮本さん。実は、被災体験を話すことに葛藤があったといいます。
実家に帰省した宮本さんは、家族と話しました。
母・道子さん:「萌は一切そういうのなかったよね、こっちではね」
宮本さん:「俺より話す内容が濃い人はいっぱいいるからね」
母・道子さん:「そんな被災したなんて言えるレベルじゃないよな、みたいな感じになっちゃうんだよね」
宮本さん:「でもそうやっていくと、記憶が埋もれていくからね」
進学のため、5年前に徳島へ移った宮本さん。以来、学校や防災のイベントなどで、その体験を語るようになりました。
宮本さん:「次の災害が必ず起こるだろうと言われている地域の中で、僕の話で少しでも力になれるのではと」

徳島県美波町、由岐湾内地区。南海トラフ地震では、最大12.3mの津波が押し寄せ、建物の99%が浸水すると想定されています。
この地域では、被災する前に病院などの施設や住宅を高台へ移転させるなどの「事前復興」という取り組みを進めています。海の近くにあった病院などは、すでに高台に移転しました。
しかし、住宅の移転がなかなか進みません。費用の面でも、気持ちの部分でも抵抗を感じる人が多いというのです。
そうした中で宮本さんは、自分にできることを模索しています。
やってきたのは、災害に備えて住民同士の絆を深めるために作られた『まったりカフェみなみ』。この日も住民と、災害に対する備えの大切さについて話していました。
宮本さん:「家族や住民で話すことが、その後の防災につながっていくのかなと思います」
まったりカフェみなみ・山田由美さん:「東日本大震災は、ずっといつも思い出されます。まずは逃げること」
事前復興に関わる徳島大学学術研究員・井若和久さん:「一番やっぱり僕らとか地域の人に響いたのは、体験された方のお話なんですよね。体験された方のお話を実際こちらで聞かせていただくことによって自分たちも心を動かされてこういう活動になってきたので」
宮本さんは最後に、「また同じような被災を繰り返してほしくないという思いが一番にあるので、自分自身が発信とか話すことによって、他の地域の方がそれに対してアクションしてくださっているのなら、本当に話してきた行動してきたかいがあったかなと」と話しました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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