「最後の一滴まで闘魂があった」アントニオ猪木さん一周忌を前に(2023年9月29日)

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アントニオ猪木さんが亡くなってから、10月1日で1年となります。お墓のそばにブロンズ像が建てられ、毎日、訪れる人が絶えないといいます。
お墓を訪れたファン(50代):「すごいビックリしたのが、亡くなる直前にテレビ出て『まだ頑張るぞ』『復帰するぞ』と見た記憶があって。そういう姿を見せているから、亡くなった後も慕う」
お墓を訪れたファン(40代):「最後の一滴まで闘魂があった。そこまで僕らに教えてくれた」

その姿は、今もそれぞれの心に生き続けています。
猪木さんの師匠・力道山の時代からシェフを務めてきた高梨正信さん。団体旗揚げ後の最も苦しいとき、力道山時代の人脈を生かし、プロモーターとしても支えました。あのモハメド・アリ戦を実現させるために、私財を投じたこともあります。
高梨正信さん:「真剣で何かに真正面からぶつかってやろう、やってみようという素晴らしさ。良い悪いを別にしても、とりあえず実行に移した姿は素晴らしいし、見習わないといけない」

アントニオ猪木さんは、14歳のとき、一家でブラジルへ。コーヒー園での重労働に耐え、いつしかプロレス界を超えたスーパースターとなります。その生き方は、今も人々を魅了します。
お墓を訪れたファン(50代):「くさい言い方すると『立ち向かう勇気』。アンドレみたいな大きい方に立ち向かっていく勇気みたいなのは、おそらく猪木さんから学んだかなと思います」

どんな相手でもぶつかる、その“突破力”は、政界進出後も発揮されました。
アントニオ猪木さん(1990年9月):「総理であろうと何であろうと、政治家である前に人間である。その人間の心を忘れた政治家なんてぶっ殺してやる。すみません、興奮しました」

湾岸戦争前夜、“人間の盾”となった日本人を救出するためイラクへ行き、要人との交渉を重ね、帰国を実現しました。

その“本気”は、時を超えて、今、“猪木を知らない世代”にも届いています。その生きざまとともに、残してきた数々の言葉。
女子高校生:「『やる前から負けることを考えるな』すごい、グッときて。大会とか出るときに、うまくいかなかったらどうしようとか、よく考えちゃうけど、そんなこと考えずに、まずはやってみようって」
40年来のファン:「本気で心から発してる言葉や、猪木さんが思う言葉が出ているから、その言葉の本気さが、娘は予備知識なく連れてきたけど、ニュアンスとして届くんだと思う」

すべてをさらけ出してきた、その生き方は、今という時代に求められているのかもしれません。
お墓を訪れたファン(50代):「『馬鹿になれ』という言葉がありまして。どうしても今の世の中、利口に振る舞う、誰でもプライドや自尊心があるけど、それだけじゃ世の中、渡って行けないと思う。時には、自分が馬鹿になって、相手の人を立ててあげる。相手の魅力を引き出してあげる。そういうことをやっていかないと、人間関係や社会が回っていかないと思う」
自営業(50代):「会社の悪くなっていったりするときに、生き延びていくのは、なかなか大変だったので。そのときは、やっぱり猪木さん、思い返しますね。猪木さん、いつも拳を突き上げて、上を向いてたじゃないですか。ついつい、ダメなときは下向いちゃうんですけど、下を向かないで、上を向いて、前向きに歩いていくというのが猪木さんだと思うんですよ」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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