カメラが見つめた『復興』被災地10年の歩み(2021年3月11日)

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『3.11から明日へ』東日本大震災から10年。“テレビにできることは何か”を考えた形の一つが記録をし続けることでした。

少しずつ、人や街が復興していく姿を、同じ現場から見つめ続けました。それぞれの10年間の記録です。

児童・教職員84人が犠牲となった宮城・石巻市の大川小学校では、土砂が取り除かれ、整地され、去年には宮城県内の校長90人が訪れ、遺族が伝える教訓に耳を傾けました。

小学6年生の娘を亡くした佐藤敏郎さん:「今、私たちが見ている所で、10年前は運動会が行われていました。あの日の命に、あの日の出来事にふたをすることではない。しっかり向き合ったその先にきっと見えてくる。防災はハッピーエンドなんです。ハッピーエンドの未来を想定しきるのが防災です。そしたら、恐怖は希望に変わります」

大川小学校は今年4月から、震災遺構として公開されます。

職員ら43人が犠牲となった宮城・南三陸町の旧防災対策庁舎では、2019年に犠牲者を追悼する碑が完成しました。

南三陸町・佐藤仁町長:「8年9カ月かかりました。やっとこの日を迎えることができました」

津波に襲われた福島・相馬市の住宅地には、2020年10月に尾浜こども公園が開園し、子どもたちの声が聞こえるようになりました。

職員ら28人が犠牲となった岩手・大槌町の旧役場庁舎は、2019年に解体されました。

職員だった姉が行方不明の女性:「10年という年月が、気持ちを薄れさせてくれると思っていたんですけど、きょうは一番悲しかったです」

失われた岩手・陸前高田市の高田松原では、新たに植えられた松が背を伸ばしています。

『高田松原を守る会』小山芳弘さん:「大きくなったね。本当に順調に育って。希望だし、夢だし、どんな木でも1年があるように、100年もあるはずだから。昔の高田松原を想像できるようになってきて、すごくうれしいです。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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